「青森、沖縄、ニューヨーク」
三線の友人に三線の外国人奏者はいるのかという質問をすると「沖縄にいる外国人奏者はいるが、それ以外の地域にはいない。」
三線の方は音楽性より、地域性が強い証。
三線を山城留美子先生に師事していたころ、当たり前のように
「沖縄はどのくらい行くんですか?」
と聞かれて
「行ったことありません(別に沖縄好きでも何でも無いし)」
と言うと
「沖縄好きはマストでしょ!」
と言われたのも思い出。
あまのじゃくな私は青森も沖縄も津軽三味線も三線も初めて10年行かなかった。
「津軽に住まなきゃプロになれない」と言われたこともある。
一度も住んだことはないし大会などの用事が無いと行かない。三線の沖縄も試験を受けに行った2回きりだ。
別に行ったところで何が変わるわけでも無し、行かなかったところで何が変わるわけでもない。
一応プロにはなってるし、先達の言うことも話半分に聞いとかないとという好例である。
そもそも私は外出がそこまで好きでは無い。
大学時代は車で津軽三味線弾きながら北上してストリートで演奏したり、行ったら楽しいとは思うが、
用意、片付け、移動時間が勿体ないと感じてしまう。
それもあって20年前に自宅でインバウンド三味線体験を初めた。
自分が外国に行くのでなく、来た外国人を相手にする。そういう発想だった。
ニューヨークだけは別だった。
ニューヨークは年2回くらい自腹で行っても魅力のあまりある街だった。
海外公演もアゴアシ出す、という案件があったがアメリカでもニューヨークではなく、
「ニューヨークに集中したい」と2件くらい断ったくらいに、ニューヨークへの憧れが強すぎた。
「勿体ない」とも言われたが、そんなことはどうでもいい。そう言う人はなんの思い入れもなく、「タダで海外旅行出来る」くらいにしか思ってないのだ。
津軽三味線奏者が自分の稼ぎで行くのはハードルが高すぎた。
初めて降りたった時のビルの高さに感動した。新宿に住んでいるが、新宿よりビルが高い。あの映画で見た光景に自分はいるのだ、と感涙ものだった。
年2回くらい行ってワークショップをやったり、教室をやったりしたが、最終的に生徒は居着かなかった。
東海岸には日本人が少ない。だから需要も少ない。
向こうのコーディネーターに告知を手伝ってもらったが、
「ライブハウスにフライヤー置いても誰も見ないので、日本食レストランにフライヤーを置くべきだ。」といって最終的に15人くらい集まった。
が、日本人と日本語が達者な中国系アメリカ人。
英語は全く必要なく、ニューヨークのワークショップなのに、日本語で十分だった。
津軽三味線を音楽として捉えている人間は、ニューヨークには誰一人いなかった。
日本文化。
そして津軽三味線でいつかはニューヨークに住みたいと思っていたが、
和楽器を教えに来た人は一人もいない。とのことだった。
結婚でニューヨークに来た女性が、箏にしろ、茶道にしろ、日本文化を支えている状態だった
そもそも演奏活動のビザならまだしも、教室のビザになるとビジネスビザになるのでよほどの金持ちでないと降りない。
子どもが大きくなって、お金がかかるのと、コロナ以降売上が落ちて行けなくなったが、
マイルも貯まっているし、

また来年行こうかな。