ホラー映画名作中の名作、「エクソシスト」のラストシーンを最近何度も見ている。
テーマ曲がプログレッシブロックで最も好きな曲の一つであるのでグロさのソフトなエクソシストにぴったり合う。
以下がテーマ曲(ノングロ)
。
以下がyotubeのそのシーン (ライトホラー注意)
http://www.youtube.com/watch?v=Au-u9RWe0Jo&feature=player_embedded
ある少女が悪魔サタンに取り付かれ、
異常な行動をし始めたので
親が神父に徐霊としてエクソシスト(悪魔祓いの専門家、日本で言うと除霊師)に
悪魔祓いを委託する。
神父は大司教とともに十字架を押し付けたり、聖書を押し付けたり、
The power of Christ compels you!(キリストの力で懲らしめてやる!)
と繰り返し言うが全く効果が無い。
一瞬神父が部屋を出た隙に少女が大司教を殺し、
それを見た神父は、
son of a bitch!(売春婦の子め!くそくらえ!)という神父にはあるまじき言葉を発し、
少女を殴りつける。
そして「Take me!Take me!(私に乗り移ってみろ!)」と言い、
結果悪魔が神父に乗り移り目の色が変わり、大司教が少女に殺された復讐として
、無抵抗の少女を絞め殺しそうになる。
しかし神父は自分の中に居る悪魔と戦い、結果窓から身投げして死ぬこととなる。
人間が悪魔に勝ったのだ。
キリスト教カトリックフランシスコ修道会(私は中高一貫の進学校でカトリック校だった)
には「例え山を動かす程の信仰心を持っていても、愛が無ければ無に等しい。」
との言葉がある。
なんのことは無い、このラストシーンは、人間の憎しみの部分を悪魔と言い、慈愛の部分を神 と言っているに過ぎない
ことを描きたかったのだ。
人に憎しみが芽生えた瞬間、その人は悪魔を自分の中に持つことになり、
それは怒りという形で表に現れる。逆に愛を感じれば、その人は
神を自分の中に持つことになり、愛情表現として外に現れる。
どんな人間にも、神と悪魔が宿っている。
テーマ曲がプログレッシブロックで最も好きな曲の一つであるのでグロさのソフトなエクソシストにぴったり合う。
以下がテーマ曲(ノングロ)
。
以下がyotubeのそのシーン (ライトホラー注意)
http://www.youtube.com/watch?v=Au-u9RWe0Jo&feature=player_embedded
ある少女が悪魔サタンに取り付かれ、
異常な行動をし始めたので
親が神父に徐霊としてエクソシスト(悪魔祓いの専門家、日本で言うと除霊師)に
悪魔祓いを委託する。
神父は大司教とともに十字架を押し付けたり、聖書を押し付けたり、
The power of Christ compels you!(キリストの力で懲らしめてやる!)
と繰り返し言うが全く効果が無い。
一瞬神父が部屋を出た隙に少女が大司教を殺し、
それを見た神父は、
son of a bitch!(売春婦の子め!くそくらえ!)という神父にはあるまじき言葉を発し、
少女を殴りつける。
そして「Take me!Take me!(私に乗り移ってみろ!)」と言い、
結果悪魔が神父に乗り移り目の色が変わり、大司教が少女に殺された復讐として
、無抵抗の少女を絞め殺しそうになる。
しかし神父は自分の中に居る悪魔と戦い、結果窓から身投げして死ぬこととなる。
人間が悪魔に勝ったのだ。
キリスト教カトリックフランシスコ修道会(私は中高一貫の進学校でカトリック校だった)
には「例え山を動かす程の信仰心を持っていても、愛が無ければ無に等しい。」
との言葉がある。
なんのことは無い、このラストシーンは、人間の憎しみの部分を悪魔と言い、慈愛の部分を神 と言っているに過ぎない
ことを描きたかったのだ。
人に憎しみが芽生えた瞬間、その人は悪魔を自分の中に持つことになり、
それは怒りという形で表に現れる。逆に愛を感じれば、その人は
神を自分の中に持つことになり、愛情表現として外に現れる。
どんな人間にも、神と悪魔が宿っている。