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に載せている古調あいや節 の楽譜ですが、

ハァー新潟の 川真ん中に あやめ咲くとは イヨ しおらしい
という歌詞が
あります。


津軽なのに何故 「新潟」なのでしょう。

マイミクのまめさんの日記より。

新潟甚句歌詞

【古調】○ハァー新潟の 川真ん中に あやめ咲くとは イヨ しおらしい

ハァー押せ押せ 下関までも 押せば新潟が イヨ 近くなる

ハァー寺の婆 名主の嬶も 襷掛けやれ イヨ 秋三月

ハァー何たら 長い五月雨(さずい)だ 爺様あくびに イヨ 黴はえた

ハァーでんでらでんの でっかい嬶持てば 二百十日の イヨ 風除けだ

ハァーござい堀から 白山までに しんの話が イヨ まだ尽きぬ

ハァー下の新地の 道楽稲荷 おれもニ三度 イヨ だまされた

ハァー行かんせんか かんせんか かんか林の イヨ 茅刈りに




あやめとは越後の(新発田の)殿様を指すようです。

ある少女に命を助けられた猫が 少女の窮地を救うために美女に化け
遊女として越後の花柳に身を寄せます。
そこであやめの殿様に見初められるのですが。

遊女に化けた猫は殿様に本当の事を明かしたそうです。

殿様はついうっかり他人に遊女の身の上を語り

黒雲に乗った猫に 身を引き裂かれてしまった

というのが言い伝えらしいです。それが「越後新潟・・・」の一節なんだとか。

沢山の女性が桶屋に売られました。

沼地の農村では年貢を納めるのも大変だったのでしょう。


今では考えがたいことです。

開かれた港町として新潟は沢山の船が往来しました。

そこでいろいろな地域の文化が集まったんだと思います。


元々文化というのは大体がそうであるように、沖縄から北上していき、津軽で止まるのが
定説となってます。

あいや節は熊本の牛深ハンヤ節が北上していって新潟甚句などを吸収して津軽で止まり

津軽あいや節となったのでしょう。



牛深ハンヤも弾けないしあいやもまともに弾けないのにこういうことだけ詳しいのが
「三味線弾きシシド」たる所以です。あかんがな。



↑古調あいや節のCD。私の流派の先輩が伴奏に参加してます。



演奏情報
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新宿津軽三味線教室
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三味線弾きシシド(小山貢山)

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