合気道には試合がない。

それが合気道が実戦で使えるか議論になる原因でもあり(私はこの手の議論は散々しつくしてもう飽きたのでしない。要は「武道」が強いのでなく「その人」が強いのである。)試合形式にした分派もあるが本家合気会は度重なる試合形式化の要請も度々拒否しているそう。


「試合がない」のは合気道のアイデンティティなのだ。

和楽器で言うといわゆる「演奏」というフェーズがないとも感じられるようで(実際には組手のような「演武」があるのでないワケではない)



それでは何の為にやっているのかと度々驚かれることもあるがその答えの一つが「稽古の為の稽古」だ。」
前にかいたが「とにかく稽古に出ること」

が大事

稽古に出ることによって精神を修練するのが目的。

何の為に音楽をやるのか人によって様々だけど和楽器なら日本文化は芸道でもあるから「稽古の為の稽古」と言う意識も必要だと思う。

「家で練習するから稽古はお休みしよう」
「独学で出来るからまぁいいや」


になる原因である。

「人に聞かせてこそ音楽」というのはあくまで考えの一つにすぎない。

目的地が実演家だけとは限らない

自分の思いを伝え自己表現するにはブログでもいいし教えると言うことでもいいのだ。

という先日の日記ともリンクするお話でした。