木・金に行った茶道上田宗箇流のお稽古の会記です。


掛物  東山水上行
花入  長宗全籠
香合  宝珠 小林松斎
棚丸卓 水指 三島平 木地組桶 安南絞手
濃茶入 瀬戸茄子 村田眞人 七色船越間道
    雲鶴青磁(安閑亭常什)棗・棗用仕覆
薄茶入 河太郎 大海、 宇治山
茶杓  唐招提寺 古材 川崎幽玄 
濃茶碗 蓮葉青磁 
薄茶碗 粉引 青葉太陽 替 雪笹に雀 三浦竹泉 他五碗
蓋置  宗源 家元手作糸巻 ドイツ京焼波紋緑釉 つくね
建水  宮嶋 青白磁・木地曲 弥栄縄簾 唐銅
水次  腰黒 菊桐紋 
菓子器 碧釉 木村芳郎
    根来 木地

また心の叫びで申し訳ないが、、


「お茶やってるのにがさつ」とか言われるんですけど

「ガサツだから直す為にやってんの!」


と強く主張させて頂きますm(__)m


4年くらいやったからって普段の生活で所作が

出るくらいにはなりませんよ笑


確かに始めたばかりの時は急に所作が綺麗になったとか

勘違いする時期はあったんですが。。

普通に考えて25年かかって覚えた所作は25年かからないと

綺麗にならないでしょう。




芸事ナメんじゃねぇ! ←そこまでキレなくてもw


お茶を飲む時の所作だけは自然に出るようになったけど★



茶道のお稽古の前には必ず畳を布で拭くのですが、

もともと結構綺麗でそこまで必要ないような気がしたので

その意味を聞いてみたら

「綺麗にするという意味だけでなく、清めるという意味がある」

そうです。

清めるというのは綺麗にするという以上の精神的意味があるわけですね。



確かに畳は足で歩くときなのに棗を置いたり、お茶碗を置いたりするわけで、そこを清めることが大事なのです。


茶道は禅の 精神も入っているため、

禅の修行といえば作務に始まり作務に終わる という言葉があり、

「作務」というのは掃除のことを指すそうです。


掃除というと私にとっては「必要悪」としかとらえられないのですが、

これに意味を見出すというのは大事なことですね。




そんなワケで部屋を掃除することにしました←毎年決意してる