世の中に すぐれて花は吉野山、紅葉は龍田(たつた)
、茶は宇治の
都(みやこ)の辰巳(たつみ)、それよりも廓(さと)は都(みやこ)の未申(ひつじさる)
数奇(すき)とは 誰が名に立てし濃茶の色の深緑
松の位にくらべては、囲(かこい)と云(い)ふも低けれど
情(なさけ)は同じ床飾(とこかざり)、飾(かざ)らぬ胸(むね)の裏表
帛紗(ふくさ)さばけぬ心から 聞けば思惑(おもわく)違ひ棚(ちがいだな)
逢ふて(おうて)どうして香箱(こうばこ)の 柄杓(ひしゃく)の竹は直ぐなれど
そちは茶杓の曲(ゆが)み文字
憂(う)さを晴らしの初昔(はつむかし) 昔噺(むかしばなし)の爺婆(じじばば)となるまで
釜(かま)の中冷めず 縁(えん)はくさりの末長く千代(ちよ)萬代(よろづよ)へ
茶音頭は茶の湯の事物になぞらえて、男女の相愛を叙した地唄である。
山田流では茶の湯音頭と名付けられている。
天保年間に京都の菊岡検校が三絃に作曲した。
古曲女手前の歌詞より抜粋した一つの歌謡としたのであるが、歌句のみ短くした
だけで曲は全く違うものである。そのあと八重崎検校が箏曲に移調した。
この曲を伴奏にして茶の湯を催す人があるが、舞踊における音楽とはその趣は異なり、
茶の湯の一挙一動が茶音頭の歌詞や旋律とは合致しない。しかし、この曲を伴奏として
茶の湯を催すトキは、その作法が優美に見えて、非常に奥ゆかしさを感じさせる。