先生も色々種類があるが、
例えば教えるのは同じ「津軽三味線」でも、
津軽三味線を、通して何を伝えたいのか、そこは人によって違う。
進学校だったこともあり、二人の家庭教師についていた
一人は
勉強していないと叱る先生。
一人は勉強していなくても
「とにかく一問でも多く」
とそのばでやれることをやってくれる先生。
前者の先生とは喧嘩別れとなりまたやりたいと言ってきたが断った。
私は何も勉強しなかったが後者の先生のところへは最後まで通った。
今でも覚えているが、
後者の先生に習った「逆関数」が入試に出て、それだけ解けたことを覚えている。
私は後者になりたい、
といつも思っている。
人は他人と比べ優れているから存在価値があるのでは無い。
自分が自分だからこそ存在価値があるのである。
大会で出れば賞を取れるよ
というのも決して楽して取れることをアピールしてるわけでは無い。
どんなに才能が無いと思ってる人でももやれば賞を取れるということを伝えたいからである。
練習していないと足が遠のく人が多いのだが、
練習してきていなくとも一緒に練習しましょう、と言う言葉にはそういう意味が込められている。
合気道道主の言葉
「とにかく稽古に出ること」
上達がどうとか一人でできる練習法とかゴチャゴチャ考えてる間にとにかく稽古に行けと。
芸事では大切にしています。