逆説の日本史 13より引用です。 基本は江戸時代、能は江戸幕府の式楽となり、武士に愛され、 歌舞伎は庶民に愛されたという違いがあります。 Basically Noh play was designated as the formal performance, so loved by samurai, on the contrary, kabuki was loved by commoners.
---------------------------------------------- 能と言う伝統芸能があり、また歌舞伎という伝統芸能もある。 では、これを読んでいるあなたにとって、どちらが親しみやすい 芸能だろうか。 I'm talking about two Japanese tradtional performance,noh play and kabuki. But which is more popular for you!? おそらく九割以上の人が歌舞伎だと答えるだろう。最近でも 十八代目中村勘三郎の襲名披露があったばかりだし、少し前には 市川海老蔵の襲名もあった。松本幸四郎、中村獅童、中村七之助といえば、歌舞伎を見たことのない人でも名前を知っている。 I think more than 90% of readers will choose kabuki. これに対して、一般の人でも知っている能役者といえば、 ベテラン俳優でもある観世栄夫ぐらいか。 やはり現代人にとって能は少し遠いものであるようだ。 Because the kabuki performers are very famous and popular for everone, but the noh performer is not so popular. For the modern people, noh play is a little umfamiliar performance. しかしながらもし戦国末期から江戸期の武士、特に支配階級である 大名に、 「あなたはどちらが親しみやすいか」と問えば、 それは圧倒的に能の方であったろう。 But if I ask feudal lord in late war era and edo era the same question, they would choose noh play. もちろん、武士階級はまったく歌舞伎を見なかったわけではない。 江戸中期以降、歌舞伎が隆盛を極めると、大奥の女中に至るまで 歌舞伎(当時は単純に「芝居」と呼んだ)のファンとなり、 簡単に芝居小屋にはいけない大名はともかく、上級武士でも、 芝居見物に行くことは珍しくなくなった。 しかし、それでも能は彼らにとって「親しみやすい芸能」であった。 Of course , it's not true samuri don't watch kabuki at all. At the middle of Edo era, when the kabuki was going around, it's not rare that executive samurai go to see kabuki. But noh play is "familiar performance"for them. その理由は、武士階級にとって能とは、単純に「見るもの」ではなく 自ら「やるもの」であったからだ。 The reason is noh play for samurais were not to see, but to perform by themselves. 前に能の話をした時、能楽評論家堂本正樹氏の「能にはカラオケ的性質がある」という意味の言葉を紹介しておいた。 これもそのことを示している。 分かりやすく説明しよう。 たとえば、ここに歌舞伎の大ファンがいるとする。 歌舞伎が好きで好きで、セリフも主役から脇役のものまで 全て暗証できるほどだ。しかし、だからといって、いきなり 衣装をつけ舞台に上がり、本職の相手役が務まるかといえば、 これは絶対に無理な話であろう。 I'll show the example. Even though there is someone who is the big fan of kabuki and memorize all the lyrics of kabuki play , when he or she wear costume and go to the stage, he or she can never perform it actually. ところがこれが演歌歌手の大ファンならどうか。 それならば、舞台に上がって本人とのデュエットをすることは 可能だ。では、この違いは一体難なのだろう。 歌舞伎の方が演歌よりも「高等な」芸術だからか? いや決してそうではない。あらゆる芸事には 「入りやすいが極めるのが難しい」と言う種類のものと 「一通り基本技術を身につけるのは大変だが、いったん 身につけてしまえばあとは割りとすんなりと行く」 というものがある。 ゲームで言えば前者は「五目並べ」であり、後者は「野球」だろう。 もっとも後者の場合でも「すんなり」とは行かないかもしれない。 「名人」になるためにはそれなりの天分と努力が必要である。 誰もが「イチロー」になれるわけではない。 要するに、芸事としての性質が全く違うのだから、どちらが 上でどちらが下かという価値判断はできない。 そして、能と言うのはまさに「入り易い」芸道なのである。 But the noh play is easy to learn because the basic behaviors are orderd and symbolized. So if the people remember the basic pattern, amatuer can perform well. それはまず基本動作が整理され象徴化されているため、 基本パターンを覚えてしまえば最初は素人でも かなりの「演技」をすることができるようになる、ということだ。 「面(おもて)をかける」ということも、素人には有利である。 面を使わない歌舞伎では、表情は自分で作らなければいけない。 悲しい場面では空涙の一つも流せなければ役者とはいえないが、 それは一般人には無理な話だ。 しかし能は面がそれを助けてくれるのである。 ということは、歌舞伎ではまず不可能な、プロとの共演も 可能になる。むしろプロと共演することによって、 自分の演技の下手な部分をカバーしてもらうことすら可能なのである。 世の中には「出たがり目立ちたがり」という人がいる。 中略 一般に戦国武将と呼ばれる人々は「目立ちたがり」であった。 中略 まさにこの「超目立ちたがり屋」の秀吉こそ、能の大ファンであり、 歴史上有数のパトロンであった。 ----------------------------------------- 友達で能の仕舞を習ってる方の日記より。 ところで"能"と言うのは謡や演奏などを含めたこの芸能そのものを言うそうな。 舞は"仕舞"と言うらしい。 全国に能楽師、つまり"能だけで食べてる人"は歌舞伎役者とは比較にならないほど多いらしく、結構驚いた。 ----------------------------------------- うーん。深い。 And there are more professional noh player than the kabuki professional player.