津軽三味線、琴、茶道、合気道と幅広くやっているがどの芸道にもそれを生業としてやっている方たちがいる。

I practice tsugaru-shamisen, koto , tea ceremony ,and aikido,but
in each field , there are some people who live on their performance.

しかしこれらはどれも「文化」であり、生きていく上では全く必要がない代物である。 

But this is "culture", so no need for carrying on living.

現に私が茶道をお稽古しているというと「遊んでる場合か!三味線の稽古した方がいいんじゃないの?」
とお叱りを受けることもあった。(てか昨日も言われたしw) 
I'm often said "You don't train tea ceremony, you practice shamisen!"



文化でメシを食うことについて、
合気道の先生に倉敷に挨拶に行ったとき、「画家がアフリカに行ったとき、仕事を聞かれ「画家だ」というと「絵を描いてお金がもらえる職業があるのか!!」と驚かれたことがあったよ」という話もしてもらった。

About to live on culture,my former aikido teacher said
"When a painter went to Africa, and he said his profession as painter,
the local people was startled to know they can earn money by painting."


「文化でご飯が食べられるのは先人たちが苦労して日本の経済基盤を作ってきてくれたからであり、そこへの感謝を忘れてはいけない」との結論だった。

He concluded "You have to thank your ancestor,because you can live on culture
by ancestor making basic economics "


この命題は坂本龍一が911テロの時に言った「音楽に何ができるのか、その考えが僕を苦しめる」との言葉とも共通するかもしれない。

I think the word Sakamoto ryuichi said"I'm suffering from what I can do"
at 911 attack.


一つには、「人を癒す」という目的があるかもしれない。

One reason is "to heal someone."

学生邦楽フェスティバルで三線で島唄を唄ったときは、感動して私の歌声に泣いた人がいると聞いて本当に嬉しかった。

When I once sung "shimauta" ,I heard someone said tears by being moved by my voice, and I was really happy for that.

私のソロライブの時も、「斜影」を弾いて「久しぶりに音楽を聞いて涙が出た。」と言われ、「演奏家冥利に尽きる」と言う言葉が思い浮かんだ。
When I once held a solo concert,a person in the audience said
"I shed tears by listening to music after a long while."
and I thank my fate as a player.


この種の感動は技術の巧いことによってのみ引き起こされるものではない。
But this type of move is not caused only by skill of the instruments.

広島にいたとき、施設の訪問にてアメリカの留学生と日本の学生が訪問し、日本の音楽を一緒に歌って、それを見た入居者の方が涙を流したという話を聞いたことがあ
る。

When I was in Hiroshima,I've herad about the story that
Japanese student and American studetn went to
nursing care house,and sung Japanese songs.

これは別に演奏がうまかったからではなく、「昔戦争をしていた国同士」の若者が一緒に日本の歌を歌ってくれるなんて…という感慨から来るものであったそうだ。

This is not because they sung well, but because they were strucked to
know the young people in two countries which was once in the war sung
Japanese song together.


マイミクさんは子供へ伝統文化を教える意味は、「親や祖先を尊敬できる大人になって、日本に生まれてきたことに誇りを持ってほしい」との思いが根本にあると聞き、なるほどと思ったが、私の中で根幹となる精神になるには至らなかった。



A frinend of mine answered the meaning to pass on the Japanese traditional
culture to children is based on the spirit that he want children to respecet
their ancestor or parents,and then to be proud of being born in Japan.

戦争中にそれこそ「伝統文化」がどうとか言ってられない時代、どのように文化が生き残っていたのか、知れば何かつかめるか、と思ったが、戦争中の文化で歴史の教科書、書物で目にするものといえば軍歌 言論 くらいで後は記述が皆無と言っていいほどない。しかし歌舞伎だって津軽三味線だって、戦争中もやってた人がいて生き残ったのであろう。(武道は軍国主義に利用され逆に盛んになったのだが)
こればっかりは体験者に聞いてみないと分からないと思いマイミクのケイさんに聞いてみた。




以下引用(ほとんどそのまま引用します。ケイさん、ありがとうございましたm(__)m )
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戦争中は軍歌ばかりでしたが・・・
そこは東京下町 恐い者知らずが揃っていました。

知り合いに奥さんが寄席の三味線弾き、お連れ合いが寄席の台本書きがいました。
子どものいない万年新婚の熱々夫婦でした。
当然奥さんを残して戦争に行くなんてもってのほか。

兵隊検査の日 お醤油を1升飲んでいき検査に落ちて無事(?)戦争に行かずに済みました。

戦争中は毎日が宴会でした。
何故なら
召集されて出征していく人の送別会が毎日あったからです。
明日死ぬかもしれない、戦争に行く人は確実に死ぬことを覚悟している宴会ですから、
そのドンチャン騒ぎたるや、想像を絶するものでしたよ!
芸者さんも大忙しでした!
そんなところに文化が根強く生きていたと思います。

洋物は姿を消していましたので、
どこへでも気軽に持っていける三味線の出番です。

即興で今の気持ちを表現するには「都々逸」がうってつけ。
戦争に行きたくないことを上手に色っぽくカモフラージュして歌っていたと思います。
三味線がないときは口三味線です。
私が住んでいた環境では殆どのおとなが有名な曲なら口三味線ができましたし、
都々逸の合いの手ぐらいは誰でも入れられました。

三味線は鍋釜と同じ感覚で浸透していました。
そんなわけで、私は三味を習ったこともないのに調子合わせぐらいならできるのです。(^^ゞ

都々逸の次によくでるのが、歌舞伎の声色でした。

『待てどお留めなされしは〜〜〜♪』なんてね。子どもの私でも言えました。

昭和19年・20年の歌舞音曲どころではなかったときでも
軍歌を歌って鼓舞するかたわら、庶民は灯火管制の暗闇の中で口三味線で思いっきり色っぽい小唄なんかを口ずさんでました。
(不安を打ち消したかったのかもしれません)
我が家は暗闇の中で家族揃って「東京音頭」を踊っていましたよ!
すきっ腹を紛らわすためにね。(踊ったら余計お腹がすくのに)


片方で貴金属類は全部 国に差し出さなければいけなかったので
命がけで一番大事なものを隠し、
いつ消失するか分からないので大事なものは土に埋めなければなりません。
それで何が大切か、なにが大事かを見極めることも重要でした。

美術品・芸術品・骨董品 を大人が集まって品定めをしていました。
これは後世に残すべきだ とか
こういう絵はもう二度と描けないかもしれない・・とか。

そしてそれを命がけで守る人々がいました。

それから写真
戦争へ行く人が持っていくために
いつ家族がバラバラになるか分からないから
それに次の瞬間死んでいるかもしれないから
事ある毎になにかといっては写真屋さんに行って記念写真を撮りました。

そうやって撮った写真も空襲で全部焼いてしまいましたが・・・。

着るものもモンペ姿に防空頭巾でしたが、
防空頭巾や上着にも「刺し子」といわれる伝統技術を施したりしていました。

ごく限られた地域での、私がいま思い出せる私の中の文化です。


文化は庶民の暮らしの中に根付き、一般庶民が守り、伝えていくと実感しています。

逆に庶民に受け入れられない文化は残りづらいのでは・・・と思っています。

戦争が終わってジャズ解禁になり
登場したのが『三味線豊吉』さんです。(女性ですよ)
三味線に拘って書いたわけではありません。
戦前・戦中・戦後にかけて生活に密着していたものだからです。


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引用終わり



I asked a older frined of mine who live in world war2 , how the culture survived during the war,when they don't
have chance to think about culture, because I can find the reason.

She answerd even during the war , culture was caught on
because they didn't know they could live tomorrow so they want to enjoy the each day at best.


When the people go to war , they were celebrated about going war .
At that time , shamisen or dodoitu, were sung.



I get some sense about culture,
It's the "power"

It's the impulse we want to dance, sing and pass on ,
even though we were prohibited.


なるほど、文化とは押さえようにも押さえきれない「パワー」なのですね。

禁止されようが叩かれようが「踊りたい」「歌いたい」「伝えたい」

それが文化でメシを食う意味なのかもしれません。

その点、「斜影」や「上昇の彼方」「火の鳥」など叩かれようが何しようが伝えたいものがある私は幸せなのだろう。(おかげで随分叩かれたこともある)

以前、「答えはいつも斜影の中にある」という日記を書いたが今考えると「伝えたい「パワー」が大事」ということでもあったのだろう。


沖縄において戦後モノのない時代、人々は進駐軍の残した缶とパラシュートの糸、後は木で「カンカラ三線」を作って歌っていたという。そこには金がなかろうが、モノがなかろうが、平和がなかろうが唄いたい「パワー」があるのだ。輸入物(当時は高級品で庶民は手に入らない)の蛇皮の三線で舞台の上で弾かれる三線は何か根本的な精神が違うような気がする。舞台の三線は舞台でよいが、戦争のさなかでも生き続けた「パワー」とはまた違った要素だ。

In okinawa, the time just after the war period when lack things or food,

people sung okinawan folk song with sanshin,okinawan shamisen, which is
made by the can threw away by american army, and the string of parashute.

It's the impulse or power there,which they want to play or sing
even they don't have things of food.


津軽三味線の先生でも「お金をけちって皮を安いものにするか、お金がなくてもいい皮を使えるかで三味線で食えるかは決まる」

と言っていたのが記憶にある。多少分かりにくいがこれは「文化でメシを食う」心構えとして言ったものてであろうと解釈している。生活費を切り詰めてもいい音を出したいという「パワー」だ。そのパワーがあるかないかでプロになれるか、決まるということだろう。



20歳で三味線をはじめ、22でプロを目指してから
飢餓や貧困、伝染病、地雷や戦争、経済問題などさまざま社会問題がある中、あえて文化をやる意味を常に考えてきた。

長唄三味線の先生にもその疑問をぶつけ、「芸談ばかりだね〜♪」
と言われたこともある。

When I started playing shamisen at the age of 20 ,and I though
i want to go progessional at the age of 22,
I've been thinking about the meaning to do culture,
even though there are many social issues such as
starvation , poverty, land mine, terrorism, and war and so on.


「伝統文化を普及させたい」という声はよく聞くし自分も思うが、「それが何か世の中の役に立つのか?」という疑問には私は答えられないし、
どうしたら普及できるか議論してる人たちでさえも、明確な回答を持っていない人がほとんどだろう。

There are many people who want to promote the traditional culture,
but when I was asked "Is it helpful for the world?"
I can't find the answer.


人が「自分が素晴らしいと思うものを伝えたい」と伝えていただくのは
勿論素晴らしいことなのだが、私の根幹となる精神にするにはこの論理は「独善的」と感じてしまうのだ。伝えたいのは「自分」だからだ。

The reason "I want to pass on the thing I think it's wonderful"
can be self-righteous because the person itself want to pass on.


日本文化を日本人がもっと知るべき。と言う意見はよく聞くが、
知るべきことは他にもたくさんある。南北問題(貧困)、負の歴史、世界、悪意から身を守る術、政治、教育etc..

他にも大事なことはたくさんあるのに、何故「日本文化」を勉強すべきなのか。

I often hear the opinion that the japanese should know japanese traditional
culture more, but there are more things to know, such as poverty,
world, politics, education, the way to protect against evil will.



地雷除去や僻地の医療の方が世の中の役に立つだろうし、それをやらずにあえて文化をやる意味は、私にはまだ分からない。

I think the demining or medicine in remoto area will be more helpful
for the world,so I can't find the reason I don't do that kind of action
and do "culture."


多少真面目すぎるきらいはあるが、伝統文化の普及以前に、
それがどう世の中に役に立つのか、明確な共通認識がないと、
伝統文化普及への理解は得られようもない。








日本の中のことで分かりやすく言うと
「社会保障費を削っている最中、伝統文化に補助金が出ている矛盾」と言ったところだろうか。

この理由を、誰もが納得できる形で説明できる人間は多分一人もいないだろう。


In short,
"The reason why while we cut the cost of social security,
traditional culture get subsidies from the government."

I think there is no people who can explain the reason
who can convince everone.


そしてそれに対する答えは未だ息子の「芸人」という職業が受け入れられない私の父の葛藤への答えとも言える。

And the answer of this will be the one to my father who don't want to
accept the profession"entertainer".


I can't find my answer yet.

私の中の「答え」はまだ出ていない。


答えを求める旅は続く。
My journey will be going on…







津軽三味線、琴、沖縄三線演奏 教授
宍戸俊信(小山貢山)http://www.shamimaster.com/
三味線弾きシシドshamimaster toshi  三味マスタードットコム