以前、mixiの合気会コミュで

こんなアンケートをしました。
http://mixi.jp/view_enquete.pl?id=5944749&comm_id=239241

これを見ても分かるように、日本文化として

合気道をやってる人は少ないようです。


茶道と和楽器は

お茶会で琴の演奏があったりとかかかわりあいが

なくもないのですが、

「武道」だけはあまり他の日本文化と関わりあい

がないような気がします。



まず「武道」と「武術」の違いですが、

精神修養を目的としたものが「武道」

実際に使うことを目的としたものが「武術」

という違いがあります。

(武術 とだけ言うと中国武術をさすことが多いのですが
http://mixi.jp/view_community.pl?id=502776こんな
感じ、、)


合気道は特に「ヤラセだろ!」とか
「実際に使えない」

という非難をよく浴びますが、

道だから元は精神修養を目的としていて

実戦を想定していないのです。


それを言うなら居合道、弓道なんか

まったく役に立ちませんm(__)m


戦国時代の「武術」から、

太平の江戸時代になって、「武道」という

文化として生きる道しかなくなった

と私は考えております。


能も今では劇場で声を殺して見る感じが強いですが、

生まれた当初のはお酒を飲みながら見るものでした。


時代が変わり、娯楽から芸術になったのです。


民謡もまたしかり。

昔は酒の席で自然と集まって自然と歌ってたものですが、

時代も変わり人の好む曲も変わり、

庶民の娯楽から舞台で聞く舞台芸術になりつつあるのです。


私の一番好きな道主の言葉に、

「合気道は試合がないからその人にあった目的を

持つことができる」

という言葉があります。


私は合気道は護身術としての

技術を身につけるためのものでなく、

道場に行って色んな人と触れ合うことが

合気道だと思っているのですが、

日本文化としてやっても、護身術としてやっても、精神修養としても、さらには

格闘技(?)としてやってもいい、という懐の深さが

合気道のいいところなのでは、、、

と最近思いますm(__)m


私が合気道の稽古で一番気をつけているのは、

「怪我しないこと、怪我させないこと」です。

たまに強烈な人もいまして、

合気会から独立した流派はどちらかといえば試合を

導入したり格闘技色、実戦色を強めたものが多いので、



怪我の心配のないソフトな合気道の流派みたいなものを

作って見たくなったりするのですが、

聖人しかいない世界がないのと同じで、

いろいろなタイプの人がいるからいいんだ。

と考え直したりしています。







I sent out a questionnaire in Aikido community in Mixi(a kind of BBS)


The result was that there few people who train Aikido as a Japanese traditional culture.

Japanese traditional intruments or performance has something to do with other

Japnease traditional culture such as tea ceremony's koto performance.


It seems that Budo(Japanese traditional martial arts) doesn't have to do with the

other traditional culuture.



Budo(literally means martial way)

aim at mental training.

Bujutu(literally means martial arts)

aim at real fight.


I think Bujutu had become Budo after the Sengoku(War) period(1467-1600).

Edo period(1600-1867) was peaceful compard to the War period, so

the Bujutu had ended the role of it, then changed into Budo.