三味線弾きシシドの「日本文化ゎやばい!」

津軽三味線、箏(琴)、沖縄三線を 演奏する、 三味線弾きシシド(小山貢山)のブログ。茶道、合気道もたしなむ日本文化体験&発信記。

2012年05月

今日の通訳案内士向け講座

6ac18c64.jpg

koto

段々文化人らしくなってきましたね!

じょんがら節・六段の調べ・唐船ドーイ・斜影・火の鳥辺りは

定番として


アメリカ国歌も演奏しました♪

梅は咲いたか
お江戸日本橋
じょんがら節の各国語訳

(ロシア語英語中国語・ハングル・スペイン語)

までしてくださって光栄です!


8月に通訳ガイドの試験を受けるので次回は

是非!お客さんの方に座りたいですね!




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http://www.shamimaster.com/informationj.html

新宿津軽三味線教室
http://www.shamimaster.com/kyoushitu.html

津軽三味線、琴、沖縄三線、演奏教室
三味線弾きシシド(小山貢山)

Shamimaster toshi

エヴァンゲリをン

0568a942.jpgエヴァ初号機?と思わせる配色の靴べら

闖入者

33fae1db.jpgI got unexpected minyo singer,ikehata san,Fujiki style. I wouldn't cosider I could accompany tanto bushi,shinsouma on busk.

shamisen busking

4455db4d.jpgMaking a shade of shamisen head by busking at Inokashira park

Festival

79d76f0c.jpgThe old name of shinjuku 5chome,Banshucho番衆町 on chochin lantern on the portable shinto shrine,mikoshi.The name of town around shinjuku station had changed about 40years ago for poster's covinence,so we can see the old name only at festival or apartment name.We'd like to cherish old name.

I broke one of my legs

66f97207.jpgBroken-hearted. I broke one of my legs:( but I still have one!

さわりの成立と三味線の皮、べっ甲について

三味線には雑音を意図的に入れる さわり という機構があります。



Shamisen has a mechanism of making buzzing noise purposely.

これは元は一の糸を上駒からはずし上駒の下にあるくぼみに少しだけ触れさせ、

バイブレーション的な音を作り出すもので、

雑音を消すように作られた西洋楽器と比べまるで逆の発想で特徴的なものです。

最近ではねじで突起を上下させ、音の高さが変わっても常に一定にさわりが

鳴るように「東さわり」という機構があり、全ての糸が上駒に乗っている為

その下にあるくぼみは意味の無いものになっていますが、

昔は試行錯誤で和紙を重ねて貼ったり押しさわり
と言って糸をつぶしてさわりをつけたり、大変な作業でした。



This is the mechanism for making buzzing sound by only the bottom string keeping out from nut , and touching the edge of the depression under the nut.

This is the distinctive feature because western instruments develop to reduce noise,
so opposite way of thinking.

Now we have a mechanism called Aduma Sawari(litteraly means west Sawari)
,the mechanism of making buzzing sound by making the wood piece projection up and down by the screw at the other side of neck.

We adjust the adumazawari to the buzzing sound longest point,
but adumazawari makes it easier even when the tension of strings changed.

So we don't need to keep out bottom string from the nut,
so the depression under the nut make no sense, but it remains only a shape.

In ancient times without sawari we found it trouble to adjust sawari,

such as putting tiny layers of japanese paper under the string,
crushing a string by pushing it strongly.

このサワリという機構、三線にはありません。

三線が本土から伝来していつごろついたのか気になりますよね?

This mechanism is not attached okinawan sanshin.

Shamisen is said to develop by okinawan sanshin,

We wonder when sawari is put on shamisen.

吉川英史著 芸大邦楽科誕生秘話と三味線の美学と 出版芸術社に乗っていました。


↑こちらで買えます。貴重な資料です。



それによると伝来当初 石村検校の時代は1、2、3の糸をともに上駒にかけていたそうです。

ところが 寛永 1630年頃の三味線の絵では一の糸を上駒からはずしてありますが、
同時代に作られた三味線は一の糸がまだ上駒に乗っているそうです。

ですからこの時代にはまだ両方が混在していたようです。

When we first introduced shamisen in japanese mainland,
all strings were on the nut, but
around 1630 , we can see the picture in which shamisen's bottom string keep out from nut, but all strings are on the nut when we see the shamisen made during the same period ,so we can think both way exsited during this period.


それから時代がくだって 宝暦 1760年頃に 三絃独稽古(ひとりけいこ)という本には
一の糸がはずしてあって、それを説明してあります。

宝暦の時代にはさわりが完成したようです。

Butthe textbook for learning shamisen by oneself around 1760 says bottom string
keep out from the nut , and explains it.

so We can think around 1760, sawari mechanizm completed.


外国の方には説明しづらい三味線の皮ですが、

細棹の本番用が猫皮で、細棹の稽古用や津軽三味線に到っては全て犬の皮を使います。

「中国や韓国など、犬を食べる習慣のある国からの輸入」

と説明しますが今でも保健所から払い下げの皮もあります。
http://pub.ne.jp/withinuneko/?entry_id=4272821

一昔前までは猫や犬の皮を取る名人がいたそうですが

今は日本のものは人件費も含め高くなるのでタイなどの輸入物が多いようです。


三線では蛇皮を使っておりますが、本土では輸入できません。

本土では蛇が取れないから、という説明を耳にしたことがありますがそれは間違いで、

三線の皮にするような大蛇は沖縄にはいないので、

蛇皮はビルマニシキヘビで昔から輸入品で、とても高価なため持っていたのは

貴族か、あっても家宝にするような大事なもので、庶民は渋皮張りの三線を使っていたそうです。

その代用品を探す際に、太鼓や鼓の皮であるところの馬の皮などが試験的に行われたので

ありましょうが、手に入り易かったのもあるのでしょうが、音響上の淘汰を受けて、ついに猫や犬の皮に落ち着いたようです。


今ではカンガルーの皮や合皮もありますが値段が変わらない上耐久性も低く

音は非常に抜けが悪いため好まれません。

非常に微細な穴を開ければ動物の皮の抜けを再現できるのでしょうが、
そこまで需要と資金があるかが問題で、

remoの皮でも張ってやろうかと思っています。





あれは動物愛護団体の奇行のみを報道された日本人ならではの考えではないか

と思うのです。その証拠に私は外国人とふれあうことがありますが、

犬猫の皮に抵抗を持つ割合は、日本人とそう変わらないという印象です。

それよりもべっ甲が 持続可能な(sustainable)な方法で捕獲されているのか、

そちらの方が気になる方が多いようです。

もちろん外国人の三味線仲間が
多いという理由もあるでしょうが、合皮よりもネオべっ甲を選ぶ方の方が多いです。


べっ甲はワシントン条約で輸出入が禁止されていますが、

「禁止前に入れた在庫を使っている」とはいいますが

象牙に比べ値段が殆ど上がっていません。


出元は分かりませんが、今でも何らかの形で捕獲されたものが

入ってきているのでしょう。


今では養殖もあるそうですが、柔らかすぎてバチには使えないそうです。


さわりと皮の話は

吉川英史先生の著から取ったものですが、

宮本武蔵の著者と一緒!?

と思ったら

宮元武蔵の方は 吉川英「治」なんですね。

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Shamimaster toshi

箏譜

b5572873.jpgアヲハタっぽい

鯨骨

今日は朝合気道のお稽古に言ってきました。

最近気づいたのですが お稽古事には共通点があって、

楽器のお稽古にて師匠より「そういう風には私は弾いてないよ」合気道の稽古にて「そういう風に私はやってない」師匠をコピーするのが稽古なのだと。気づくの遅すぎ。

まなぶ が 真似ぶ から来たというのがようやく分かってきました。


合気道の入り身投げ、相手を回すと多少shall we dance?っぽくなるので

合気会の合気道を合気道ダンスと揶揄する人の気持ちも分かりました

長唄で踊る日本舞踊と違って演歌や歌謡曲で踊る新舞踊 と言うジャンルがありますが、

JPOPで踊る新新舞踊というジャンルがあって

、EXILEのようにタイミングずらして回ったりするそうです。



帰って修理に出していた三味線を受け取り。


細棹の三味線の駒は舎利駒(舎利はお釈迦様の骨と言う意味)




と言って、鯨骨(げいこつ)、

「クジラの骨」で出来ていると言われています。クジラは最近あまり取らないので実は「牛の骨」なんではないかと睨んでいます。三味線屋さんに聞いてみたが分かりませんでした。


どこの「馬の骨」か分からないようでは困りますねw





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古調あいや節の歌詞

http://www.shamimaster.com/gakufu.html

に載せている古調あいや節 の楽譜ですが、

ハァー新潟の 川真ん中に あやめ咲くとは イヨ しおらしい
という歌詞が
あります。


津軽なのに何故 「新潟」なのでしょう。

マイミクのまめさんの日記より。

新潟甚句歌詞

【古調】○ハァー新潟の 川真ん中に あやめ咲くとは イヨ しおらしい

ハァー押せ押せ 下関までも 押せば新潟が イヨ 近くなる

ハァー寺の婆 名主の嬶も 襷掛けやれ イヨ 秋三月

ハァー何たら 長い五月雨(さずい)だ 爺様あくびに イヨ 黴はえた

ハァーでんでらでんの でっかい嬶持てば 二百十日の イヨ 風除けだ

ハァーござい堀から 白山までに しんの話が イヨ まだ尽きぬ

ハァー下の新地の 道楽稲荷 おれもニ三度 イヨ だまされた

ハァー行かんせんか かんせんか かんか林の イヨ 茅刈りに




あやめとは越後の(新発田の)殿様を指すようです。

ある少女に命を助けられた猫が 少女の窮地を救うために美女に化け
遊女として越後の花柳に身を寄せます。
そこであやめの殿様に見初められるのですが。

遊女に化けた猫は殿様に本当の事を明かしたそうです。

殿様はついうっかり他人に遊女の身の上を語り

黒雲に乗った猫に 身を引き裂かれてしまった

というのが言い伝えらしいです。それが「越後新潟・・・」の一節なんだとか。

沢山の女性が桶屋に売られました。

沼地の農村では年貢を納めるのも大変だったのでしょう。


今では考えがたいことです。

開かれた港町として新潟は沢山の船が往来しました。

そこでいろいろな地域の文化が集まったんだと思います。


元々文化というのは大体がそうであるように、沖縄から北上していき、津軽で止まるのが
定説となってます。

あいや節は熊本の牛深ハンヤ節が北上していって新潟甚句などを吸収して津軽で止まり

津軽あいや節となったのでしょう。



牛深ハンヤも弾けないしあいやもまともに弾けないのにこういうことだけ詳しいのが
「三味線弾きシシド」たる所以です。あかんがな。



↑古調あいや節のCD。私の流派の先輩が伴奏に参加してます。



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